皆さん、こんにちは。
今日のセミナーは日本の歴史について人口という切り口でお話しさせていただきます。
まずは、大勢の方にご参加いただきお礼申し上げます。
先日、赤坂見附の地下通路を歩いていたら、各出口の脇にカウンターを片手にパイプ椅子に座る調査員の姿が目に入りました。よく見られる光景ですよね。歩行者通行量調査。
調査員の前を通過するとき、私はカチッという音とともに「1」という数字に置き換わるわけです。
その瞬間に、心豊かな人間的存在を否定されたような空しさを感じるのは私だけでしょうか。
それぞれの事象の一面だけを捉えるデータの性格からすると、当たり前のことなのでしょうが、
そこでは主体的な存在に対する尊重やアイデンティティは考慮されないわけです。
さて、この「データ」というのは、このように本来、無機質で没個性的な性格のものですが、集積したデータの中から意外な事象が新たに浮かび上がってくることがあります。
例えば、スーパーで焼酎を買う客が同時にレモンや炭酸を買う傾向が強いだろうというのはわざわざ
データの分析を待つまでもないので、焼酎の隣に炭酸などを配置するということは普通に行われています。
しかし、子供用おむつの近くに缶ビールを配置するというのはどうですか。
すぐには発想が追い付かないですよね。
”そもそも、その発想おかしいやろ。おむつ穿いてビール飲んでるやつなんておるかいな!”
おっと、これはひげ爺じゃなくて、難波さんでしたっけ?そうですね。他の参加者の方も同様のことを考えられたでしょうね。もちろん、そんなおむつ穿きのビール飲みなんていない(?)でしょう。
からくりはこうです。
「育児中、妻はかさばる紙おむつを買うことをしばしば夫に頼む傾向があり、頼まれた夫は店に来たついでに缶ビールを購入する傾向があると。
そこで、この二つを並べて配置したところ、売り上げが増えた」
という、米国のスーパーマーケットの「ビッグデータ」分析に関する話です。
ここでは信憑性は措くとして、この話が興味深いのは、これまでは無機質で没個性的なデータの海でしかなかったところから、ビッグデータ分析によって、人の頭では思いつかないような人間の行動が見つけられたり、人間臭い、子を持つ父親としての夫像が浮かび上がってくる、そんな可能性を示してくれることです。
ひょっとすると、地下通路で「1」とカウントされた私は、ビッグデータ分析の中で本人ですら想像もつかない形で、鮮明な人間像を伴って蘇るのかもしれません。
とても興味深いと言えますが、少し無気味な感じがしないでもないですよね。