皆さん、こんにちは。
今日のセミナーは、弥生に続く時代、古墳時代についてお話させていただきます。人口の話というよりは、古墳についてのお話を中心にと考えています。
弥生時代に日本列島の人口は、60万人に増加しました。西日本の人口が膨らんで、人口重心はぐいっと西へ引き寄せられました。
そして、これより今の近畿にあたる地域の人口が列島で最大となります。
この時代の人口重心は、図に示されているように、現在の京都府にあったと考えられています。これが日本の人口重心が最も西に位置した時期です。

人口重心 出典:人口から読む日本の歴史(講談社学術文庫)
時代区分の考え方には諸説ありますが、弥生時代の次の時代を古墳時代と捉えるとすると、その境目は3世紀と考えられます。
弥生時代にも、階級社会が誕生して権力者が現れて、その権威を示すためのシンボルとして、やはり大きな墳墓が築かれているんですが、これは「墳丘墓」と言われて、古墳とは区別されています。
「古墳」の定義としては、一般には土を高く盛った「古代の墓」とされています。
因みに、この「古墳時代」という名称は、八木奘三郎(1866-1942)という考古学者が明治29年(1896)に発表した論文の中で初めて使っています。
そして、現在確認されている古墳の大半は、3世紀の中頃から6世紀を中心に、7世紀に入るまで築かれています。
この古墳時代の人口がどれくらいだったかですが、歴史人口学者である鬼頭宏氏の推定値(200年頃約59.5万人/725年約451万人)に基づいて直線的に弾き出すと、3世紀半ば頃に初めて100万人の大台を突破して、600年頃には350万人前後まで増加したものと推計されます。
その他の歴史人口学者の研究では、4~5百万人の数字が挙げられています。
残念ながら現存していないのですが、この時代には、初の戸籍調査(庚午年籍)も行われています。日本の歴史上初めて登場するビッグデータと言っていいでしょう。このほかにも人口推計の資料となるものが出始めていて、これ以降の人口推計は各時代に作られた資料などを一応の根拠にしたものが多くなっていきます。
人口を350~500万人の幅で考えるとすると、いずれにしても、弥生の6~8倍へと急激に増加したと考えられます。米作りによって、一つ桁が上がったわけですね。